皆で楽しむ音楽

中学校の頃、クラス対抗の合唱コンクールが春と秋、年に3回あった。

私は毎回ピアノ伴奏者に自ら立候補していた。

クラスには私より上手な子がたくさんいたので、先生や友達に「事前の根回し」までやっていた。

そんな身の程知らずという言葉を知らない図々しさでもって私は毎回、伴奏者の地位につくことができていた。

。。。それは人生の中で輝かしい思い出のひとつとなっている。身の程知らずでよかったと思う。

それまでアップライトピアノの重たい鍵盤しか知らなかった私は、学校のグランドピアノの軽やかなタッチを知った。

皆の歌声に合わせて、トリルの指が軽やかに回ったときの喜びは、今も忘れられない。

そのせいで音楽は皆で楽しむもの、という考えが心の奥にいつもある。

環境や時間が限られているので、今のところ細々と一人でやっているのが現状だ。

ピアノ愛好家のサークルに所属して発表会に出たり、練習会・弾きあい会のような気軽なものにも参加していない。

だがいつか時間ができたら、どこかの「大人ピアノ愛好会」でも見つけて仲間に入れてもらうか、

もう少し練習を積んで自信ができたら、合唱サークルのピアノ伴奏者の末席にでも入れてもらえたら幸せだ。

クラシック以外も視野に入れて、ジャズの仲間に入れてもらうのは敷居が高いかもしれないが、それもあきらめていない。

どちらかというと、一人でピアノ独奏曲を完璧に演奏するよりも、

皆でいろんな楽器を持ち寄って合わせるのが、自分の好みに合っていると思う。

どちらがいいという問題ではなく、自分がどちらよりかの話だ。

・・・昨日、楽器屋さんの書籍コーナーで、「ベートーベンのバイオリンソナタ第5番」の楽譜を見つけて、

「スプリングソナタ」と呼ばれるこの曲のピアノ部分を弾きたくて仕方なくなり、衝動的に入手した。

いざピアノに向かって冷静になってみると、、バイオリンを弾いてくれる人がいない。

仕方ないのでバイオリンに相当する部分をピアノで弾いて録音して合わせて練習し、自己満足に浸っている。

そんなことをしていて、そういえば私、一人でやってるんだなあ・・・と、あれこれ考えてしまったのである。

オクターブギリギリの手で悩んでいた話

ベートーベンソナタを弾き始めてから、手の大きさや力強さなど肉体的な限界を意識することの多い今日この頃。

オクターブぎりぎり届くぐらいで苦労していた時期が長かったことを書こうと思う。

下記が今現在の、私の手だ。

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大きさ、長さ、太さ、どれも「普通」。

ピアノを弾くのにゆとりがあるとは言えないが、それほど不自由を感じるような大きさではない。

にもかかわらず、私はずいぶん長い間「オクターブギリギリの手」に悩んでいた。

体格的には既に大人と同じになっていた中学生の頃、

ツェルニー30番を終わると同時に練習曲を放り出して好きな曲ばかり弾いていたのだが、

オクターブ連打のところになると指が届いてくれず、悲しい思いをしていたのであった。

「乙女の祈り」は出だしの所からダメ。

「モーツァルトトルコ行進曲」は、最初はは軽やかに弾けるのにときどきダメになる・・・

ポピュラーもジャズも、オクターブ連打が出てくるのは、どんなに弾きたい曲でもあきらめなければならなかった。

スコットジョブリンの「エンタティナー」をカッコよく弾きたくて仕方なかったが、お手上げだった。

オクターブのところを省略した初心者向けのアレンジではカッコが付かず我慢できないのだから、身の程知らずと言うほかはない。

「私の手は小さいんだ」と思い込んで、オクターブの出てこない曲ばかり弾いていたと思う。

手の大きな人、指の長い人を見るとうらやましくて仕方がない。

世の中には、ピアノを弾かないのに長い指に恵まれている人がいる。そのような人を見かけると、

「手だけ取り替えてほしい」と思ったものだった。

そんな私が、自分の手が決して小さくもなく、指も人並みの長さがあることを知ったのは、

20年のブランクを経て再開したときである。

以前の記事にも書いたが、私には一緒にピアノ教室に通った姉がいる。

ツェルニー30番で練習曲を放り出した私とは対照的にハノン、ツェルニー40番、バッハインベンションからシンフォニアと順調に進んだ姉は、高校生でショパンエチュードを弾けるぐらいになっていた。

ピアノを再開したばかりのある時私は、姉の手は自分の手と同じであることを知った。

手のひら同志を重ねると、大きさも太さも指の長さもぴったり揃う。

姉妹だから同じ手を持っていたのだ。

それなのに、姉は私にできないオクターブ連打を楽々とこなしている。

姉の方が手が大きいんだと思っていた。

でも違うんだ、同じ手なんだ・・・

長いこと「手が小さいからオクターブ連打は無理」と思い込んでいた私にとって、

「目からウロコの事実」であった。

姉は着実に日々の練習を重ねていったからできるのであり、

私はそれをしなかったからいつまでたってもできなかったという事実。

練習すればオクターブ連打もできるようになる・・・

これが、今の私を練習に駆り立てる要因のひとつになっているかもしれない。

私は、「オクターブ連打ができるようになる方法」を調べまくった。

それによると、

・手の大きさも要因としてあるが、柔らかさでかなりカバーできる。

・オクターブがギリギリ届くぐらいでも、日々の練習しているうちに手が柔らかくなり、開くようになってくる。

・練習していれば手や指も強くなってくるので、オクターブ連打のとき、隣の音にさわってしまうということが減ってくる。

・バッハシンフォニアなどで細かい指の動きをやっているうちに、手ができてきてオクターブ連打もこなせるようになってくる。

・多少届かなくても「手が柔らかければグリッサンドで弾けるようになる」

そんな様々な情報を得て、半信半疑ながらも練習曲を地道にこなして2年半たった。

遅ればせながら手が柔らかく、楽にオクターブを押さえられるようになった。じわじわと練習の効果が出てきていることを実感している。

それで、ベートーベンソナタに移ったのだ。

オクターブギリギリ届くぐらいだと、あれこれ弾きたいと思い始めるころから不自由を感じることが増えてくる。

手が柔らかい子供のうちにもっと練習しておけばよかったと、反省することしきりである。

ピアノをやっている大人の「オクターブがギリギリで不自由」という悩みはけっこういろんなところで見聞きする。

ピアノの手の故障の原因で一番多いのは、オクターブの無理な練習であるという情報も得た。大いに納得できる。

急にできるようになろうとしたり、無理に開こうとしない方がいいと思う。特に大人の場合は。

数年かけて克服すると肝に命じることだ。子供より手が固いのだから少しずつ、根気よく、ゆっくりでなければ。

男性やもともと手が大きい人が当たり前のようにオクターブ以上を軽々と抑えるのを見るとうらやましさ、妬ましさがこみ上げることもあったが、そのような人にはまた別の苦労があるのかもしれない。

小学生のうちにツェルニー40番までいってしまうような人は、成長に従って手の柔らかさで乗り越えて行くのではないだろうか。成長しても手がそれほど大きくならない場合は、よい指導が必要なのかもしれない。

私のように、手が特別大きくなく柔らかくもなく、

練習をサボって「オクターブギリギリ」のまま大人になってしまった場合は、期間をかけた練習が必要ということだと思う。

日々の練習メニュー(2015年11月22日現在)

8月に引き続き9月、10月も何かと忙しく・・・・

と、つい言い訳をしてしまう。

要するに、あんまり上達していないということだ。

だからブログも更新できないわけだが、このようなブログでも結構検索でたどり着いてくれる人が増えているので、

今の練習状況だけでも書こうと思う。

◆ハノン音階と分散和音

◆ハノン48番

◆モシュコフスキ20の小練習曲・7番

◆ツェルニー40番・28番

◆バッハシンフォニア・2番

◆ベートーベンソナタ第1番 1楽章

前回(7月2日)書いたときより曲数が少なくなっているのは、

忙しくて練習時間が1時間半と短くなってしまったので、

師のお情けで手を出させてもらっているショパンエチュード25-2を

そこそこ自己満足レベルまで弾けるようになったので修了(合格ではない)したのと、

ハノン1番 変調をメニューから一時外しているからだ。

ショパンエチュードはやはり身の程知らずな選択だったと思い知らされる場面が何度かあったのでやめにした。

でもショパンは何かやりたい。

時間ができたらノクターンの比較的入っていきやすい曲に手をつけてみる予定。

それ以外に変わったことといえば、ベートーベンソナタに入ったことだ。

ソナタは当分モーツァルト一筋で行こうと思っていたが、

K333 3楽章を弾き終えたところで、

戯れにベートーベンソナタの楽譜を開いて音を出してみると、

モーツァルトと難しさが違う、少しずつでもやっておいた方がいいと感じられた。

今後ソナタはは、モーツァルトとベートーベンを交互に進めて行く予定。

ベートーベンソナタ集が手元にあるのだが、現状では手の届かない曲も多いので、

モーツァルト2曲にたいしてベートーベン1曲、のような割合になるのではないか。

今回ベートーベンソナタの第1番を選んだのは、この曲の1楽章が比較的入りやすい曲だったからだ。

最初は5番と何となく思っていたが、さわりだけ弾いてみたら1番の方が楽だった。全楽章やると思う。

1番や5番のような曲も含めて、

ブランクありで指の動きが怪しい中級者にとって、ベートーベンソナタは、

頑張りすぎると手や指を痛めそうになる曲が多いと思う。

人生あと何年あるかわからないが、焦っても仕方がない。

ゆっくりていねいに練習しようと思う。

時間が取れないときの最小練習メニュー

夏の暑さが一段落して、涼しい週末の今日。

学生の夏休みも終わり、世の中が通常スケジュールになってきたことを感じている。

この夏は、何かと忙しくて練習が滞りがちだった。

子供のころは、ピアノの練習をサボりたくて、

なんだか具合が悪いとか、やれ宿題がある、部活が、お友達の○○に付き合うから、

と理由を探していたものだった。

大人になった今は、こうやって仕事や家事のあいまに苦労して練習時間を捻出しているのである。

田舎に帰省するなどで、ピアノの前を離れてしまうときはあきらめるしかないが、

通常の生活をしていて、仕事や家事で時間が取れない場合、

または体調がすぐれなくてピアノに向かうのが億劫だ、

というときに、せめてこれだけはやる、

という最小練習メニューを決めたのは、

今年の夏に、あまりにも練習が滞ってしまったからだ。

15分でやる最小練習メニュー

◆ハノン39番(スケール)
◆ハノン41番、42番(アルペジオ)

どちらも抜粋などせず全部、ある程度の速さで弾けば、15分かからない。

1日に1回これだけやっておくと指の動きが鈍らなくて済むので、

練習再開時にリハビリをする必要がなくなる。

15分以上時間が取れる時は、

いまやっている曲、ツェルニー、バッハ、ソナタなどなんでもいいから1回弾くと、さらに良い。

こうやって書き出してみると、

以前雑誌に載っていた「15分で作れるかんたん夕飯メニュー」によく似ていると思った。

主婦だからそう思うのかもしれない。

日常でありがちなのが、

「夕飯を作り終わって家族を待っている時間が余る」で、

普段、洗濯物をたたみつつテレビを見て過ごしているこの時間は、

この最小練習メニューをこなすのにちょうどいい。

体調が悪くてピアノに向かう気がしない時でも、

15分くらいなら頑張れる時もある。

意外と多いのが「仕事のストレスでピアノを弾く気がしない」だ。

何をする気もなくなるくらい落ち込んで、しかも肉体的に疲れているときでも、

この最小メニューだけは、頑張ってみようと思う。

本当はハノンのトレーニングではなく、

同等効果のある曲がないかと探しているのだが、

全ての調を効率的に、左右の手を均等に、

中級者が短時間で練習できる曲というのがなかなかない。

それに疲れているときや、特に精神的に落ち込んでやる気がしないときは、

曲よりも、機械的に指や手を動かすだけの、ハノンの方が楽でいい。

開き直り練習の効果【バッハシンフォニア】

お盆の帰省で慣れない田舎暮らしをしていたが、1週間前、自宅に戻ってきた。

猛暑も後半戦に入ったと感じる今日この頃、ブログ更新をする気がようやく起きてきた。

まがりなりにも主婦なので、毎年この時期は家族に振り回されていつもと違う予定が入る。

ピアノの練習時間を確保するのにも苦労する。

田舎に帰省したときとその前後を含む6日間、ピアノに触れなかった。

ただでさえ練習不足でふらつく指の動きが、6日間のブランクによってさらに頼りなくなって・・・

嘆いても仕方がない、練習あるのみ!

と自分で自分に叱咤激励してリハビリ練習を開始し、3日くらいでいつもの指の感じが戻ってきて通常の練習メニューに戻った。

今苦労しているのは、バッハシンフォニア1番。

譜読みを始めたのが5月だからそろそろ2か月になるのに、未だに片手練習をしている。

指が回らないところも届かないところもない、

それなのに練習が停滞しているのは、

譜読みに時間がかかっているからというのがひとつと、

あと、なんとなく全体的に理解できていない気がする、

という漠然とした不安があるからだ。

たぶんシンフォニアに慣れていない、ということだと思う。

そういえばインベンションの時もそうだった。

最初は譜読みにものすごく時間がかかっていたし、だいたい練習の仕方がわからなかった。

「それは音を出しているだけだ」というご指摘がたびたび入る。

じゃあどうすればいいの?と心の中で反抗しながら

ああでもない、こうでもない、と自分なりにやってみた挙句、

結局よくわからないので、指示のとおり、楽譜から自分がわかることだけでいいから地道にやろう、

どうせ自分にはわからないんだから、と半ばヤケクソになって練習を続けていた。

そうやって開き直って自分にできる範囲の練習を続けていて、

10曲目を終えたあたりで、

ちょっと違ってきたな、と思った瞬間があった。

譜読みが早くできるようになったのだ。

その分「譜読み以外」に時間をかけられるようになった。

気持ちにゆとりができたせいか、以前に比べるとだいぶマシになった気がする。

インベンション最後の5曲は完成度も今までよりは高く、1曲を3週間ほどで終えることができた。

「ちょっとは上達したのかも・・・」

と、気をよくしてシンフォニアに進んで

また同じことになっているのである。

ピアノ以外にも言えると思うが、

壁にぶつかっていてどうしたらいいかわからないとき、

わからないながらも自分でできる範囲のことを模索していく、

絶対にあきらめない、

そうすることで、先が開けていく、

そうして身につくものは、意外と大きいかもしれないと思う。

「わかることだけでも地道にやろう」という、

ヤケクソの開き直り練習の効果は、

私がインベンションの15曲をとおして学んだことの一つだ。

同じように、シンフォニアも時間をかけて乗り切れるのではないか。

「開き直り練習」を続けてみようと思う。

難聴でも音楽はやれる その2

ソナタに関しては、しばらくはモーツァルト一筋宣言をしていたが、

今朝、youtubeを徘徊していたらベートーベンソナタが耳に入ってきて、

そういえば、と思い出したことがある。

私が最も弾きたい曲はベートーベンのピアノソナタで、

その中の、このブログのタイトルとなっている曲が最も好きであり、

今の人生で、生きているうちに弾くことができるだろうか、

という淡い期待を持っているのだった。

たくさんあるベートーベンソナタのうち、「やさしいソナタ」と言われるもの以外は、

自分にはまだ早い、モーツァルトの方が先、ということで、

自分でもそれにおおいに納得して、ベートーベンソナタはしばらくお預けの今現在。

モーツァルトでもベートーベンでも、自分にとって難しいにことに変わりはないが、

長いブランクによって弱った手を抱えている、今のこの状態の自分には、

モーツァルトで得られるものを先にやっておいた方がいい、のである。

それでもこうやってベートーベンソナタを小耳にはさんだだけで、

「ベートーベンソナタ弾きたいごころ」がこみ上げてくる。

何冊か持っている音楽書籍の中でも、ベートーベンの伝記は何度も読み返したのでボロボロだ。

夢中になる理由のひとつに、ベートーベンが難聴だったということがある。

過去の記事にも書いたが、私も難聴だ。

健康診断にも引っかからない程度の軽いものだが、

日常生活で不自由な場面がときどきある。

今でもそうだが、

さまざまな不便なことを聴力以外のもので乗り切って、

勉強や仕事や家庭生活を頑張ってきたと思う。

それでベートーベンの難聴の心境がほんの少しだけわかるような気がする、

というのは、平凡な一般人である私の思い上がりかもしれない。

「悲愴ソナタ」が作られたころと、ベートーベンの難聴が進行し始めた時期は一致している。

それ以外にたくさんあるピアノソナタのほとんどは難聴が悪化していく中で作られた、

という事実が、私をとらえて離さない。

過去に読んだピアノに関する文献で「よい耳をもつことは、よい演奏につながる」と言われていたりして、

音楽によい耳は不可欠というのは当然のように思えるが、

単純に聴力が良いということではなく、それ以外の音楽知識や経験も含めて総合的な感覚能力のことで、

良い耳、というのは、「音楽を見る目、音を味わう感覚、想像力」

のように言い換えることができるのではないだろうか。

聴力に恵まれていなくても、音楽はできると思う。

自分のことを振り返ってみると、

小中学校、高校でも音楽の時間に苦労した覚えがないのは、ピアノを習っているからだろうと単純に思っていたが、

幼少のころから「耳から覚えるカンはいい」と言われていたのも、今考えると不思議な話で、

絶対音感に至っては、人より劣っているはずの聞き取り能力で、何がどうやって身についたのかわからない。

地道に練習曲をやることが苦手で、得意なのは転調と即興演奏だった。練習嫌いと難聴が複雑に絡み合って、自分のピアノ人生はわかりづらいことになっていた気がする。

今になってこういうことを言っても仕方がないが、

子供のころは難聴であることに、親も先生も気が付いていなかった。もし気が付いていたら、自分の人生は変わっていたと思う。

話がそれるが、ベートーベンの肖像画について着目してみる。

有名なのは、楽譜とペンを持って上目づかいな情熱的な表情のものだが、

私はなぜだかこれがあまり好きではない。

下記は、45歳のときだそうで、個人的にはこれが一番好きである。

20150717

いくつかある肖像画の中で、最も難聴者らしい表情をしているのがこれだということが、

自分もそうだからよくわかるのである。

WEBに公開されている演奏聞きくらべ所感

ピアノの練習をしている人の多くがそうだと思うが、

ひとつの曲を練習していて、

これはどう弾く?とか、あるいはどう弾けていればいいか?

と、他人の演奏を参考にすることは多いと思う。

その場合、インターネットを使っているたいていの人は、

WEB上に公開されている演奏を参考にしているのではないか。

私もご多分に漏れずで、

ソナタやエチュード、バッハインベンション・シンフォニアについては

YouTubeなどを徘徊していくつもの演奏を聴き比べ、

これいいな、マネしたいな、とか、

これくらいの速度じゃないとダメか、う~ん、

とか、

そうか、こういうやり方もありか、

なんていろいろ考えた末、練習を進めている。

モーツァルト k.333の1楽章を聞き比べていた時に痛切に思ったことがある。

それは、この曲は、ある程度の実力のある人の演奏しかWEB上では見つからない、ということだ。

音階やトリルを高速できれいに、

正確に、明るく、軽やかに美しく弾き切りたいこの1楽章で見つかるのは、

プロフェッショナルのピアニストか、コンクールの入賞者のものか、

ピアノの先生をしている人が自宅で模範演奏しているのや、

あるいは発表会のために弾きに弾いた若い人の、ピカピカの演奏であった。

聞き比べていていい勉強にはなるが、今の自分と比べるのは無理があると思った。

それに比べると、幅広くいろいろな人の演奏が聞けるのはバッハインベンションで、

たどたどしい子供の演奏風景や、

やっと先生にOKもらいました! なんていう人の一生懸命なのもある。

ピアニストの説得力のある演奏も視野に入れて、

自分自身のインベンションの演奏がどれくらいのレベルかということを

私はYouTubeのなかで、ある程度知ることができたように思う。

恐らくインベンションは1曲が短くて仕上げやすいのと、

それから弾いている人が圧倒的に多い、

この2つが、WEB上に上がっているのが多いことの理由になっていると思う。

何れにしても、インターネットにつながるパソコンとスピーカーさえあれば、

家にいながらにして、いろんな演奏を聴くことができることは、

ピアノ練習の進度に、深く影響していることを実感する。

この時代に生きていてよかった、と本気で思っている

日々の練習メニュー(2015年7月2日現在)

ふと思いついて、

今現在、何を練習しているかの記録をしてみた。

◆ハノン音階と分散和音

◆ハノン45番

◆モシュコフスキ20の小練習曲・4番

◆ツェルニー40番・24番

◆バッハシンフォニア・1番

◆モーツァルトソナタK333 2楽章

◆ショパンエチュードop25-2
 
◆ハノン1番 変調

と、こんな感じで日々の練習を頑張っている。

もともとはハノン、ツェルニー、バッハが練習の主体だったが、

ツェルニーやバッハをやっているんだからソナタぐらい弾こう、と

モーツァルトソナタ集の1を購入して練習メニューに加えたのが1年前。

ベートーベンソナタと1曲ずつ交互にやっていこうと思っていたが、

モーツァルトの魅力にはまったし1曲仕上げることの練習効果も高いので、

しばらくソナタはモーツァルト一筋。

モシュコフスキ20の小練習曲を加えたのは今年に入ってからで、

ロマン派風の練習を少し加えたいという理由以外に、

ツェルニーは右手に偏りすぎるので、それを補う意味もある。

中級者向けだそうで、譜読みは意外と楽。美しい曲が多いのが嬉しい。

ツェルニー40番は、練習をサボりがちで進み方がものすごくゆっくりなので、

今年いっぱいくらいで40番まで終えるという目標は、ちょっと苦しいかもしれない。

バッハシンフォニアはインベンションと同じく時間をかけるので、

15曲終わらせるのに2年はかかかるんじゃないかと思う。

ショパンエチュードは、「中級者のチャレンジ」と、1曲だけで終わらせず、

今のレベルで弾けるものから弾いて行こうということになった。

25-2の次は、25-3に進む予定。

ハノンに関しては、音階と分散和音は日々の練習の最初に毎回ウォーミングアップとして、

15分くらいで全部弾ける。

それとは別に順番通り進めていて、今45番の「2音連続」をやっている。

あと、ハノンの変調は、1番から順番に調を変えて練習すると手や指のいいトレーニングになるので

時間にゆとりのある日に、気長にやっている。

こんな感じで、1日の練習時間がだいたい2時間。

毎日やれればいいが、3日に1度くらいは練習できない日がある。

欲を言えば、この練習メニュー以外に、ショパンのワルツやノクターン、

メンデルスゾーン、シューベルトなどの、美しい曲を仕上げていきたいが、

現状では練習メニューで手一杯。

それでも、趣味でやっている自己満足大人ピアノとしては、

なかなか頑張っているんじゃないかと、自分では思っている。

独り相撲【 ショパン エチュード Op.25 No.2】

ショパン エチュード Op.25 No.2の譜読みを始めてから3週間ほどたった。

指使いを決めてたどたどしく右手練習していたが、

そろそろいいだろうということで、

左手と合わせてゆっくり弾く練習をはじめて、10日ほど経過している。

狭い範囲で右手を動かすための練習曲だそうで、

届かないところや指のまわらないところはないが、

指のもつれが頻繁に起こるのが特徴的だ。

20150623_2

楽譜はごらんのとおりで、一見平易に見えるが、

音を出すだけであってもやっぱり簡単にとはいかない。これは上級者のエチュードだ。

狭い範囲で右手があれこれと動き回るし、

親指くぐりも頻繁なので、親指と人差し指がよくもつれる。

指と指がからまってもつれあって、、、

自分でじぶんと取っ組み合いをしている、

独り相撲のような感じだ。

こんな狭い範囲で何やってるんだろう、

と自分で自分にあきれてしまう。

でもやっぱりショパンは美しい。

だからからみあい、もつれあいの独り相撲であっても、

練習していると幸せだ。

「今」を味わい尽くす

2週間のあいだ、曲を寝かせて

少~しだけうまくなったような気がするモーツァルトk.333の1楽章は、

100%満足するまでやっていたらキリがないので、

取りあえず2楽章に進むことにして、

それと並行して1楽章も弾き続けることにした。

2楽章はゆっくりめの曲で1楽章とはずいぶん違う。

2楽章をやっている間は1楽章も弾き続けるが、

3楽章にうつったら、1楽章は清くあきらめよう、

そう自分で心に決めて、日々の練習を続けていくことにした。

たぶん2楽章を終わっても、まだ1楽章に未練たっぷりだと思うが、

・・・でも、仕方ない。

身の丈にあった仕上がりで満足しないことには、

いつまでたっても1曲だって終えることができなくなってしまう。

と思っているが、果たしてあきらめられるかどうか。

そういえば、バッハインベンションのときもそうだった。

仕上がりにどうしても満足できなくて、

同じ曲を延々と弾いている。いつまでたっても仕上がらない。

インベンションでは、たしか長いトリルのある12番だったと思うが、

これ1曲で3か月、いやもっとかけていたと思う。

「好きにすれば」

と周囲に言われて好きにするとこうなるので、

好きにしないほうがいいのかもしれない。

だいたいクラシック・ピアノを再開したときの目標が、

ジャズピアノをやるための基礎固めのはずだったのが、

古典から入ってバッハで停滞し、

さらにモーツァルトで停滞している。

ベートーベンでも停滞しまくるのが目に見えている。

別に意地になっているわけではなく、そうしなければいけないという義務感でもなく、

練習しているそれぞれの曲の魅力にはまった結果の停滞なので、

自分としては少しぐらい進むのが遅れても悔いはない。

モーツァルトの魅力にどっぷりつかっている、という状況の今。

こんな進み方じゃ、いつまでたっても○○できないよ、という不安よりも、

「曲の魅力にどっぷりつかっている今」を味わい尽くす進め方で、満足しているのである。